前回の記事が消えてしまいました💧(本編、宗教話アリ)

こんばんは、モカです。
※前回の記事は、私の不注意で削除してしまいました。


(前回の記事で言いたかった事)
いつも通りPC起動しましたが、マウスのカーソルが見当たらず四苦八苦。
PC設定を無意識に変えてしまったのか?
またはマウスの電池切れ?(USB無線の為)
はたまた故障か?と色々手を尽くしてみましたが直りません。
結局の所、原因は不明ですが、おそらく接触不良ではないかという考えにまとまりました。
(PCのUSB挿入箇所とUSBの接触不良)
USBを挿す箇所が4箇所くらいあるので、試しに入れ替えてみた所直りました。
そしてPC作業するまでに1時間かかってしまうという話でした。
とんだ機械音痴というか、たまに機械が分からない瞬間があります。


スクショはAltキーとPrtScrnキーとWindowsキーでしたかね?
毎度毎度、「スクショのキー」を検索してからスクショしているので
いい加減覚えたいところです。


(ここまでが前回の記事で書いていた事でした。消えましたが。)


PCでもiPhoneでもMuragonブログは確認できるのですが、
自分の記事がどんな風に見えるのか見てみようとした所、
誤って消してしまったという悲劇でした。






今回、何について書いていこうかと少し悩みました。
今、とてつもなく不規則な生活を送っている為、まずはその事。


リアルで周りには言い辛い(言うなと言われている)事。


そして、宗教の話。(苦手な方はブラウザバックお願い致します。)


以上3点、話していければと、思います。






では、不規則な生活についてです。
昔を振り返った所、案外自分は早起き出来ていて、
非常に規則正しい生活をしていた事が分かりました。
それは土日関係なく、休日でも朝9時頃には大体起きていたようです。
仕事の日は6時くらいに起きていたようです。
いくら、仕事が8時からでも毎日ちゃんと起きられた自分凄ぇ…と思ってしまいました。


ここ数年は、早起きが苦手な自分を把握したつもりで、
中番(12時くらいから)とか遅番の時間帯の仕事をしていました。
遅刻しない事が一番ですからね。


今は…というと、起床時間が12時なのです。
そして、だらりと過ごし翌午前1時以降に就寝という流れです。


実は昨日、その不規則な生活を正すために2つの選択肢を考えたのです。
①(17日)寝ずに、今日(18日)朝6時頃から普通に生活し、リズムを正す。


②(17日)何時に寝てもいいが、今日(18日)必ず6時に起きて、リズムを正す。


これは、今までの経験上、かなり悩みました()。
一度寝てしまうと、アラームがあっても制御不可という可能性もあります。
しかし、一切寝ないのも支障が出ますし、体調不良になりやすそうです。


悩んで、よし今回は兎に角起きていることにしよう、と決めました。
深夜、2時くらいまではいつも起きているので割と普通でした。
徐々に、夜も更けていき深夜3時頃、なぜか憂鬱に支配されてしまいました。
慌てて色々な動画を観たり、配信を聞いたり、頭の中を違う考え事でカバーしました。
しかし、深夜というのは不思議なもので、そうそう上手くはいきませんね。
そして配信者さんも「もう5時ですよ、皆さん(うんぬんかんぬん)…」と
語り始めたころ、
私は(憂鬱が強くて困った。2時間くらい寝てみようか)と思っていました。
当初は、早起きする予定でしたが、そうも言ってられません。
しかし、そこに「眠る」と決めた安堵と眠気が凄まじく、
アラームを7時に設定せずに眠ってしまったのです。


…ヴー、ヴー
二度のバイブレーションでハッとしました。
iPhoneの通知でした。
夢も見ず、ただただ眠っていたようです。
そして、身体がなまっていて重たいです。
もしや、…この身体の状態は寝すぎてしまった時に起こる感覚。
時計を確認すると。  -終ー




という結果になってしまいました。
今回、いや今日こそはしっかり最善策を考えて、明日早起きしたいと考えています。


そうやって張り切っている時ほど、なぜ「憂鬱」さんがやってくるのでしょう。
昨日は突然の訪問だった上、思っているより怖い遭遇でした。


ちなみに、昨日考えたことは接客業時代の嫌な思い出と、「死」とはという事でした。
ふと頭に思い浮かびます。
「死んだらどうなるんだろう。そもそも死ぬ時、痛そう。怖そう。死って何だろう。
私も例外でなく、既に生き始めているから死を避けることはできない。」
そう思って、真っ暗な瞼の中で、足元を覗いてみます。
すると、つま先ぎりぎりの崖に立っていて、崖の下は真っ黒、下が見えません。
そこはまさに、奈落です。
身体が何とも言えない「竦む」感覚を覚えました。
一瞬だけ、そんな景色が浮かび、私は恐怖に慄きました。
でも実際に、死を避けられる者はいません。
「死恐怖症」というのでしょうか?


宗教の話が混ざってしまいますが、ごめんなさい。
以前、ネットで関わった方が、(おそらく)別の宗教を信仰されている方でした。
一生懸命、お経をあげていると、ある時悟りが開ける(?)らしいのです。
しかし、それは地獄を垣間見るという事なんだそうです。
歴史の授業にも、極楽浄土に行く為に仏教を信仰する、というような事を学びます。
そういう意味合いで、お経をあげるのでしょうか?
もう記憶が曖昧なので分かりませんが、
地獄がどんなものか見えてしまう日が来るという話が印象に残っています。
とても怖いですね。
私が今回感じたものは、それに通ずるのでしょうか。
それとも、私の中の「像」でしかないのでしょうか。
亡くなった方が戻ることはないので話は聞けませんし、定かではありません。


しかし、宗教に関わっている限り、少しそういう世界と近くなっているんだろうなとは
思っています。
もうこの世にいない方、見えないものを信じる、という事ですからね。
パッと問われるといつも狼狽えてしまいますが、
宗教を信仰している意味はそこですね。


「生死を左右できない、病気や事故も回避できない、なぜそれでも宗教をするのか」


そういう方もいらっしゃいますね。
実際に知恵袋で、なぜそんな宗教にお金を払えるんですかと、そういう問いも見かけました。


もう私は、生まれてからずっと信仰している為、
漠然としか思っておらず、理由を考えたり疑う余地もなかったのです。


ただ、自分の信念や支えです。
道徳で、良いことをしましょう、と教わります。
傷つける言動はしてはいけません、と教わります。
それと同じことです。


それから、今はいらっしゃいませんが、かつては私たちと同じように
一度の人生を生きていた「ご先祖様」の供養の為にやっています。


他宗教と比べることはできないのですが、必要以上にお金(会費)を払っている訳ではありません。お布施や強制的な物品購入もありません。


月に五百円、そして欲しい方は、仏具を買いますが、一度買えばそうそう買い替えたりはしなくていいと思います。



この宗教で教わることはもっとあると思います。
集いなどで施設に行くと、大きく掲げている言葉が目に入ります。
「Myおせっかい」なんです。
  一緒にやろう!Myおせっかい。人が人を元気にする。
そういう事を大事にしているんです。
おせっかいは言葉の言いようだと思いますが、人を思いやる気持ちは、
人同士なくてはならないと思います。


宗教を知らない人が見ても、分かりやすい言葉だと思います。
お経をやってみないと分からない難しい言葉が並んでいる訳ではないのです。


しかし、私はまだまだ足りないのだなと日々痛感しています。
自分自身の信念にしても、人を思う事に関しても。





順番が前後してしまいましたが、最後にリアル近況報告です。
最近は自分も含め、体調不良の人が多くて驚いています。
私は、仕事の過度なストレスから腸の動きがおかしかったり、胃痛、憂鬱などの症状がおこりました。
同時期、上司にあたる方も咽頭の再検査に引っかかったり、婦人系の病気で手術になったりと、かなり心配な場面がありました。


最近、従弟の子供が生後間もないのですが、肝臓に膿がたまる病気であることを知りました。
私の叔母にあたる人は、ガンと診断され、病院で方針を決めている途中です。


こんな次々と起こることはないので、正直怖いですしとても心配です。




今日、伊豆諸島(?)の方で地震があり、今も余震が続いています。
怖いですね。
これが余震とは言い切れないのですが、結構頻発しているみたいです。
伊豆の方面ですが、島は東京都扱いになるのですね。


最近は、地震が多いです。
コロナと重なってしまうのではないかと、日々恐れています。




という事で、今回は長めの記事になりましたが、この辺で失礼したいと思います。
ではまた。